「 旧家の怪 」
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屋敷に満ちていた気配は、退魔の術を行ってほどなくして結界内に凝縮した。
小鬼の姿と聞いていたそれは、少年とも少女ともつかない美しい人がたをとっていた。

予測と違う姿に一瞬たじろいだが、相手がどんなモノであれ、依頼どおり退治することに変わりはない。

捕らえるまで多少手こずったものの、このまま封印の術を行えば、二度と脱け出すことは叶わなくなる。

人の手に落ちてしまった自分を理解しているのかいないのか、ほっそりとした肩をこわばらせることもなく、彼の魔物は結界の真ん中にぺたりと座り込んでいた。

暗闇の中、四隅に蝋燭を配した結界は、簡素に見えて、体も動かせないほどの重圧が内部に満ちているはずである。
そんな強力な枷の存在をこちらにほとんど感じさせない様子は、何気ないようでいてかなりの力を持っているに違いなかった。


最後の仕上げにかかる前に、私はなんとなしに捕らえた獲物を見分した。

蝋燭の炎に透けた薄い色の髪が、わずかに乱れた白い胸元にかかっていた。
術に囚われる時に少しは抵抗したのだろう。
こうして結界の中に居る姿を見ると、とても滅すべき災厄の源とは思えない。

魔物は、こちらの不躾な視線を厭うかのように、ずっと目を伏せたままでいる。
うつむいたその肩が呼吸をしていないような気がして、我知らず顔を覗き込んでいた。

前髪に隠れかけた頬は、血の気がないまでの白さだったが、軽く結ばれた唇に生命の気配を感じて私は安堵した。
これから自分の手で封印術を行うというのに、おかしなことだ。


ふと、魔物の両の目がこちらをひたと見据えているのに気がついた。
私は大きく動揺した。


モノと視線を合わせるのはご法度だ。
しかし数秒の間、目が離せなかった。


かつて師に言われた言葉を思い出す。
魔を捕らえたら決して必要以上にみつめてはいけない。
目を通してこちらの心がとらわれると。


私は禁を犯してしまったのだろうか。
彼から目を逸らしながら、いつしか乱れてしまった呼吸を整えようと努力する。


結界の中の魔物は身動き一つしていない。
それなのに、私は得体の知れない圧力を感じ始めていた。


邪なるモノは触れることができないはずの結界が、ひどく頼りないものに思えた。
四隅の蝋燭がひとつでも消えれば、結界の効力は失われてしまう。
わずかな隙間風も入らないよう、入念に準備は済ませてあるが、胸のざわつきはおさまらない。


この美しい魔物は、自由を奪った私に腹を立てているだろうか。
結界から出したら最後、命を取られるかもしれない。
禍々しい正体を一瞬で現し、私を頭からばりばりと喰らうのかもしれない。


それでも彼はどのような動きで私を捉えるだろう。
その白い腕で、細く美しい指先で。
赤い舌を隠した唇で、あるいは尖った歯の先を、私の肉に喰いこませて。


私の視線は再び彼の体の線をたどり始めてしまう。
長くかかった前髪に半ば隠された、彼の瞳の色を確かめたい。
ついさっきこの目で見たはずなのに、何故かどうしても思い出せないのだ。


蝋燭の炎が小さく震えた気がした。


笑っている。

確かに、笑っている。


動けないはずの白い指先がこちらへ伸ばされた瞬間、灯火は全て掻き消えた。


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翌朝、目張りした屋敷の中で家人らが発見したのは、不完全な封印術の痕跡のみだった。

退魔士の姿はどこにもなく、高額な退治料を前金で支払っていた主人は、大変な立腹ようであった。

しかし不思議なことに、それまで家人を悩ませていた怪現象は、以後ぴたりと治まってしまった。

界隈では名うての退魔士だった男の行方は、杳として知れない。

この小事件を知る同業者はひそかに噂し合った。

気をつけろ、彼は魔に魅入られたのだ―――と。





<了>




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