「 兄の猫 」
若は鈴木の猫である。
うちで飼っているんだから、家族みんなの猫のはずなんだけど、なぜか若は鈴木の猫なんである。
飼いはじめた時、鈴木が名前をつけた。
そのせいなのかは分からないが、他の奴にはぜんぜんなつかないし、特にオイラには鼻もひっかけない。
エサを出してやっても全然つんつん。
いつも、こっちがご主人様だとでもいうような顔をしている。
オイラが家族でいちばん年下だから?
いちばん背が低いから?
むかつく。
でも、だからって若が鈴木になついているかって言われると微妙ではある。
気分によっては鈴木のことも普通にがじがじ噛んでるし。
他の家族よりは、そばに寄っていることが多い気がする、程度かな。
鈴木なら、撫でてもOKなときもある。
鈴木の部屋でくっついて眠っているのを見たこともある。
若は鈴木以外は触れない猫なのだ。
やっぱりこう書いてみると、若なりに鈴木になついてるのかもしれない。
若の、ブルーグレイのつやつやの毛並みはきれいで、最初の頃は自分も撫でてみたいなと思ったりした。
しかし、だんだん分かってきたけど、とてもそんな隙はない。まったくない。
オイラ的には、若はもう少し可愛げがあったほうがいいと思うんだけどな。
学校でそう言ったら、猫なんてそんなものだろうと凍矢に言われてしまった。そうなの?
ともかく、せっかく見た目が良いのに、若はそんなもったいない猫なのだ。
もったいないといえば、鈴木もかなりもったいない奴である。
弟のオイラから見てもけっこうイケメンだったりするのに、たぶん彼女とかずっといない。
流石ちゃんの友達に、お兄さん紹介してって頼まれたときは、
可愛い子なのにデートすらしなかったらしくて、オイラまで流石ちゃんに怒られた。
腹が立ったので、鈴木のせいで彼女に怒られたって言ったら、
いくら名字違うからって兄貴を呼び捨てにすんなって、関係ないことで逆に怒られた。
「鈴駒は、前はお兄ちゃんお兄ちゃんて、素直でとっても可愛かったのになあ…。」
無視した。
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ある晩、トイレに行きたくなって目が覚めた。
用を済ませて夢うつつでリビングの前を通ったら、鈴木がソファで眠り込んでるのが見えた。
あいつがうたたねなんてめずらしい。相当疲れてるっぽい。
母さんが寝るときにもそのまま放置されたらしく、電気もほとんど消されちゃってて薄暗かった。
―――にゃあ
そのまま通り過ぎようとしたら、若の声が聞こえた。
水でも替えてほしいのかな?
オイラは思わず立ち止まって、リビングを覗き込んだ。
と、鈴木の足元のあたりに別の人影があるのに気づいて、全身がぎくりとこわばった。
だ、誰だ?
暗くてはっきりとは見えないが、人影は、服のすそをつかむようにして、鈴木を覗き込んでいる。
鈴木の友達?
今日って家に誰か来てたっけ?
オイラが寝てから来たのかな?
けっこう動揺しつつも、リビングの暗さに目が慣れ始め、髪の長いきれいな顔の人物なのが見て取れた。
え、鈴木の彼女?
いや男…?
てか、誰?
こんな深夜に、人んちの電気ついてないリビングに居るって普通じゃないような…
――にゃー にゃー
オイラが棒立ちになっている間にも、若の鳴き声は続いていた。
今まで聞いたこともないような甘い声。
すぐ近くで鳴いているような声だった。
オイラは目玉だけ動かして若の姿を探すが、暗闇にまぎれているのか、なぜかどこにも見当たらない。
その時、気づいた。
声は、あの人の口から聞こえてる。
――にゃあ
まぎれもない、若の鳴き声。
彼の人の、かすかな月明かりに透けた、ブルーグレーの髪。
まさか。いや、そんな馬鹿なこと。
――にゃあ
彼がまたひと鳴き、鈴木に一段と近づく。
オイラは思わず、お兄ちゃん!と叫びそうになったが声が出なかった。
今や、彼の手は鈴木の肩口をかりかりとひっかいていた。
オイラは何もできずにただ固まっていた。
馬鹿な想像が頭から離れない。
あの人は、他人の家で、こんなに暗い部屋で。何をしてるんだ。誰なんだ。
――にゃあん
また鳴き声。
と、鈴木がう〜〜んと体をよじった。
「分かった、分かったよ若…ちゃんとベッドで寝るって……」
――にゃー、にゃー
「うん…先に行ってて…絶対起きるから……」
オイラの最高の緊張をよそに、鈴木は完全にねぼけているようだった。
――にゃあ
「うーん、分かってる分かってる……」
目を閉じたままの鈴木の片手が、空をさまよう。
すぐそばに彼の人の頭を探し当てると、いとおしそうに指で髪を梳きながら数度なでた。
そしてなんと、そのまま引き寄せてキスを……した。
「ん、おやすみなさい…いいこだね」
――んにゃ。
彼は心なしか満足げな声を発すると、鈴木に頭を擦り付けた。
やがて立ち上がり、ひらりと身を翻すような動きの後、果たしてそこにいたのは、猫の姿の若だった。
オイラは何もできずに立ちつくし、ひたすら目の前の光景を見続けていた。
まずい。まずいものを見てしまった気がする。
まだ、もう少し前に声でもかけてしまったほうがマシだったかもしれない。
今更後悔しても後の祭りだった。
冷たい汗が背中をつたい、オイラは思わずごくりとつばを飲み込んだ。
すると、若がぴくんと耳をそばだて、ふいにこちらに向き直った。
オイラは喉の奥でひっと声にならない悲鳴をあげた。
どどどどうしようオイラもしかして喰われるんじゃ?
若は、すっと目を細め、しばらくこっちを見つめていた。
そして、おもむろに口を開き、
「 これは夢だ。 」
に、日本語…
え、夢?
そうか、そうだよな、さすがに夢だよな…!
よかったー夢で!!!
とんでもない緊張感が一気に反転し、オイラの視界は急速に暗くなっていった。
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気づくとオイラは自室のベッドの中で、時計はすっかり朝になっていた。
どうやって部屋に戻ったのか。途中から記憶がなく…
少しおびえながらリビングへ出て行ってみると、両親も鈴木ももう起きていて、いつもどおりに朝ごはん食べつつテレビなんか見ていた。
ソファの上には、これまたいつもどおりに寝そべる若の姿。
若は、オイラのことをちらりと見て、興味なさげにまた目を閉じた。
そうだ、あれは夢だった。
そもそも何事もなかったんだ。オイラはそう思うことにした。
そうと決めても、しばらくの間、若の姿にびくびくしてしまうのは否めなかったけど。
春から、鈴木は1人暮らしをするらしい。
ペット可の手ごろな物件がようやく見つかったんだそうだ。
もちろん、若も一緒だ。
母さんはさびしがっているけど、オイラは大歓迎だ。
今度はうちでも、もっと普通のカワイイ猫を飼えばいいじゃないかと心の中で思っている。
でも口には出さない。
引越しまではまだちょっと怖いからね…。
いや、怖がる理由はないんだけど。
なんとなく、なんとなく…
なんとなくと言えば。
鈴木に彼女ができない理由が、なんとなく分かった気がしたオイラだった。
<了>
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